白暁燕・誘拐殺害事件の真相は?【梶原一騎の娘】惨殺と犯人の動機!

1997年に台湾で白暁燕さん誘拐殺人事件が起きました。白暁燕さんは日本の劇画作家梶原一騎と台湾のアイドルのパイピンピンの一人娘でした。事件は白暁燕さん殺害という形で決着しました。その後の台湾の法律にも影響を与えた誘拐殺人事件を写真と共に追います。

目次

  1. 白暁燕さんという女性を知ってる?
  2. 白暁燕さん誘拐殺人事件<概要>
  3. 白暁燕さん誘拐殺人事件<犯人>
  4. 暁燕さん誘拐殺人事件<報道>
  5. 白暁燕さん誘拐殺人事件<真相>
  6. 白暁燕さん誘拐殺人事件<両親>
  7. 白暁燕さん誘拐殺人事件<その後>
  8. 白暁燕さんに宛てた母親の手記

白暁燕さんという女性を知ってる?

20世紀もあと3年で終わろうとしていた1997年、台湾で猟奇的な殺人事件が起きました。1人の高校生の少女が誘拐され、残虐な形で殺害された事件です。台湾史上、例をみない残虐な殺人事件として、当時、死刑廃止の方向に傾いていた世論が大きく変わった事件でもあります。この猟奇的誘拐殺人事件は、日本でも大きく報道されました。この事件は日本人にも関係ある、興味を覚える事件でした。

この事件の動機などの真相は、現在も何なのかはっきりわかっていません。理由はマスコミの過熱報道にありました。マスコミは捜査の邪魔をしただけでなく、少女が殺された原因となったとも言える行動をしました。その上、真相追及より煽情的な報道を優先しました。この事件は真相究明をすることなく、人々の興味を引くような方向で報道を続けたマスコミが問題になったという点でも、最悪の事件だったのです。

高校生当時の写真

写真の少女は白暁燕です。白暁燕という名前を聞いても、「なんて読むの?」「聞いたこともない」という人が多いのではないでしょうか?白暁燕は「パイシャオイェン」と読みます。台湾に住む16歳の少女でした。この少女は普通にどこにでもいる台湾の少女ではありません。白暁燕の父は日本人の劇画原作者で知らない人がいないであろう梶原一騎です。

父・梶原一騎の写真

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梶原一騎は日本漫画でスポ根ものというジャンルを確立させた功労者です。写真の梶原一騎はどうにも強面のイメージがしますが、残念ながらパイピンピンとの家庭内ではこのイメージ通りだったようです。

母パイピンピンの写真

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そして母親は台湾人で白冰冰と言います。「パイピンピン」と読みます。白暁燕さんはパイピンピンと梶原一騎との間に生まれた一人娘だったのです。パイピンピンが来日していた時、梶原一騎と恋に落ち、結婚をしました。パイピンピンさんは台湾で大人気のアイドルでした。娘の白暁燕さんは日本と台湾のハーフなのです。しばらく日本で生活していたパイピンピンでしたが、梶原一騎の家庭内暴力などに悩みます。

パイピンピンは梶原一騎の暴力から逃げるように離婚をし、白暁燕さんが1歳の時、台湾に帰ります。その時、娘の白暁燕さんを連れていきました。白焼燕さんはずっと台湾で育ちました。母が台湾のアイドルで、国中で大人気だったので、「パイピンピンの娘」として、母のパイピンピンと一緒に、テレビ出演などもしていました。ツイッター上には母娘がテレビで共演した時の貴重な写真も載っています。

台湾は儒教的世界です。父親が日本人ということで白暁燕さんは日系であることを強く意識されました。パイピンピンは白暁燕さんを特別扱いすることなく、普通の台湾の子女として育てていました。ボディーガードなどはいっさい付けず、車などで送り迎えをすることなく、一般交通機関を使わせていました。白暁燕さんは普通の高校生と同じように、誰にもガードされずに通学していました。

当時の台湾では、有名人を狙った身代金目的の誘拐事件が後を絶ちませんでした。有名人の娘であった白暁燕さんはそういった犯人グループにとって、簡単に拉致できる存在だったでしょう。ボディーガードも付けず、普通の女子高生として過ごしていた白暁燕さんは、1997年4月14日に誘拐されました。この誘拐事件が後に「台湾史上最悪の誘拐事件」と言われるようになりました。

当時、台湾の報道は加熱しました。パイピンピンは台湾での人気がとても高く、その娘が誘拐されたというので、報道合戦が起きたのです。日本では誘拐事件が起きると、報道規制が敷かれ、警察の捜査に協力します。捜査の状況が漏れてしまうと、犯人を追い詰める結果にもなってしまいます。しかし台湾の報道関係者はそういった思慮に流れることなく連日報道をしました。

もし当時の台湾でも報道規制が敷かれていたら、白暁燕さんは助かったかもしれません。犯人は身代金さえ手に入れば、誘拐した人間を解放したでしょう。ただ、犯人の犯行動機がパイピンピンを苦しめるためのものだったとしたら、白暁燕さんの命が助かっていたかどうかわかりません。事件は今もまだ真相が解明されたとは言えず、一部は謎のままです。

もう1つ、この白暁燕さん誘拐殺人事件が大きな話題となって今に伝えられている理由が、その猟奇的な殺害方法にありました。口にするのもはばかられる陰惨で残酷な殺し方が衝撃の話題となって、台湾だけでなく日本にも報道されました。しかし、この報道された内容が本当に事実だったのか怪しい部分も多いです。ネット上でも面白おかしく伝えられていますが、真実は少し違うようです。

白暁燕さん誘拐殺人事件<概要>

白暁燕さん誘拐殺人事件①白暁燕さんが拉致される

それではさっそく白暁燕さん誘拐殺人事件がどのようにして起きたか見ていきましょう。1997年4月14日、犯人の高天民、林春生、陳進興の3人は、高校の通学路で白焼燕さんを待ち伏せしていました。目的は白暁燕さんの身代金誘拐です。母親である人気アイドル、パイピンピンから身代金500万ドルを受け取ることが目的でした。当時高校一年生だった白暁燕さんは、いつもの朝と同じように通学路を歩いていました。

犯人たちは白暁燕さんを待ち伏せしていた車に押し込み、拉致します。運転は高天民が担当しました。林春生と陳進興が実行役になりました。白暁燕さんは周囲が見えないよう、さらには声を上げられないよう、頭に黄色いゴムバンドをぐるぐる巻きにされました。息ができるように、鼻だけは出した状態でした。

白暁燕さん誘拐殺人事件②白暁燕さんに対する暴行と写真

あらかじめ用意してあったアジトに到着します。高天民、林春生、陳進興ら犯人は白暁燕さんの左胸を露出した状態で写真を撮りました。さらには林春生が白暁燕さんの小指を切断しました。この写真と小指が身代金要求の時の脅迫に使われます。白暁燕さんは小指切断時の痛みに泣きわめきます。犯人グループは白暁燕さんに殴る蹴るの暴行を加えました。そして白暁燕さんを一人にして、犯人らはいったん帰宅しました。

白暁燕さん誘拐殺人事件➂警察が動き始める

犯人たちは誘拐当日の4月14日、白暁燕さんの母親パイピンピンに電話をし、娘を誘拐したと事実を伝えます。そして指定された霊園の管理室に、白暁燕さんの写真を3枚、切断した小指、身代金500万ドルを要求する内容を書いた手紙を置きます。警察がそれらの写真と小指、手紙を発見します。警察は0414特別案件として、身代金受け渡しの時に犯人を逮捕する計画を進めていきます。

白暁燕さん誘拐殺人事件④白暁燕さんが殺害される

警察は犯人の動向を見守ります。翌15日から17日まで、犯人からの指示はありませんでした。4月18日と19日に犯人から交渉の連絡があり、身代金の受け渡し場所の候補地を決めました。しかし、決めた日時に目的の場所に行ったところ、犯人は現れませんでした。実はこの最初の身代金受け渡しの失敗により、白暁燕さんは殺害されてしまいました。死因は頭部腹部殴打による出血多量及び内臓破裂でした。

犯人グループは何故、現場に現れなかったのでしょう?それは台湾のマスコミが、国民的アイドルのパイピンピンの娘が誘拐されたというセンセーショナルな出来事を聞きつけて、身代金受け渡しの場所に集まってしまったことが原因でした。これに激怒した犯人たちが白暁燕さんに暴力を加え、死亡させたということです。この時のマスコミの行動は後に大きな批判を浴びました。

この白暁燕さんの遺体がどんなものだったのか、現在も真相は定かではありません。真相を見えにくくしているのが、様々な興味本位の情報でした。現在でもネット上でまちまちの内容が飛び交っています。真相とは違っている可能性が高いのですが、この事件が残虐であるという理由で人々の関心を集めているのは確かです。

白暁燕さん誘拐殺人事件⑤凄惨な死体の状況

「肋骨は全部折られ、爪は全部剥がされていました。髪はむしり取られ、両耳には爆竹が詰められ、爆破されてしました。膣に釘を48本入れられてから、肛門と膣に鉄パイプを入れられていました。直腸破裂、膣口破裂の状態でした。眼球はくり抜かれ、鉄ワイヤーで首を絞められたことが原因で絶命していました」以上が、この事件で犯人が起こした陰惨な所業だとされています。

マスコミの報道によると、話は更に猟奇性を帯びます。白暁燕さんは全裸で処女膜が損傷しており、膣破裂、肛門裂傷があったとされました。肝臓も破裂し、左手小指を切断されていたと報じられました。舌はべろーんと引き抜かれたように出ており、身体中に百か所以上の内出血の跡、無数の殴打の跡があったといいます。さらには両手両足を縛られて、木枠にくくりつけられていたという報道もありました。

遺体は人間の原型をとどめていないほどに酷い状態にあったと言われています。排水溝で発見された遺体の傷跡は極悪非道のものがなせる所業でした。担当した検視が、こんなむごたらしい殺され方をした遺体は見たことがないと言ったほどだったそうです。

さらに遺体発見時の写真を台湾の一部のメディアが掲載しました。その写真は日本の写真週刊誌にも転載されました。身代金受け渡しの失敗がマスコミのせいだった上に、死者を冒涜するような写真の掲載に、世間はメディア批判を始めました。白暁燕さんが住んでいた家の付近に、周辺の住民が「記者有罪」と書いた垂れ幕を下げました。白暁燕さんの葬儀の時はかつらを被せ、生前を模した仮面を被せていたそうです。

白暁燕さん誘拐殺人事件⑥自首を訴えるも

話を事件当時に戻しましょう。白暁燕さんを殺害した犯人グループですが、まだ身代金を手に入れることを諦めてはいませんでした。警察に対しては、まだ白暁燕さんが生きているように装います。4月23日、新しい受け渡し場所を指定しますが、そこにも犯人は現れませんでした。4月26日、パイピンピンと犯人の親族はテレビ出演し、犯人に自首するよう訴えます。それもむなしく4月28日に白暁燕さんの遺体が発見されました。

その後、台湾全土に犯人グループは指名手配されます。しかし逮捕までは捜査は非常に難航しました。現在も真相や詳細で不明の点が多々あります。犯人グループの身内が犯人をかくまったり、妨害工作があったとされています。

白暁燕さん誘拐殺人事件⑦別の誘拐事件

白暁燕さんの遺体が発見されてからかなり時間が経ちました。6月6日、犯人の高天民、林春生、陳進興は別に台北県議員の男性を誘拐し、500万ドルの強奪に成功しています。さらに8月8日にも金属会社の経営者を誘拐して身代金を奪っています。この被害者家族は警察に通報せずに身代金の支払いに応じました。被害者2名は幸いなことに金銭受け渡し後、無事に解放されました。

前述のとおり、遺体発見時の写真が一部マスコミによって掲載されました。日本の写真週刊誌にも転載され、大きな物議をかもしました。台湾の世論はマスコミに対する批判を強めていきます。時の総統李登輝は「犯人を発見次第、問答無用で射殺せよ」との命令を出しました。

白暁燕さん誘拐殺人事件⑧林春生の自殺

8月19日、高天民、林春生、陳進興は警察に発見されます。台北市内の五常街53巷で警官隊800人との間で銃撃戦が展開されました。この銃撃戦で警察官の曹立民が殉職、黃慶財が負傷します。主犯の林春生は6発の銃弾を浴びた末、自殺しました。この銃撃戦では警察の特殊部隊「維安特勤隊」が動員される事態となりました。

白暁燕さん誘拐殺人事件⑨整形手術をして逃亡し高天民自殺

10月23日、高天民と陳進興は台北市の整形外科医院で、医者と看護婦を脅して顔の整形手術をさせました。手術後、口封じのため医師夫妻と看護師を拳銃で殺害し、逃亡します。殺し方も残忍でした。後ろ手に手錠で拘束し、頭部に発砲しました。看護師は殺害前に陳進興によって強姦されました。11月17日、高天民は警察に包囲され、2度目の銃撃戦になりました。高天民は最後は逃げきれずに拳銃で自殺します。

白暁燕さん誘拐殺人事件⑩裁判

高天民が自殺した翌日の11月18日に、陳進興は南アフリカ大使館の駐在武官官邸に5人を人質にして立てこもりました。しかし翌日、国会議員が裁判で弁護の約束をしたので、投降します。事件発生から7カ月も経過していました。1998年1月22日、陳進興は、死刑5回、懲役59年9カ月が言い渡されました。

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陳進興の義弟で主犯格の3人をかくまった容疑で逮捕されていた張志輝は無罪判決でした。パイピンピンはその判決に対して、正義が実証されなかったと大きな不満を残し、納得しなかったといいます。

日本の最高裁にあたる高等法院は、1999年3月16日、陳進興に対して1億7130万台湾元、当時のレートで約6億3000万円の賠償命令を出しました。損害賠償訴訟としては当時、台湾史上の最高金額の判決でした。同年10月6日、陳進興の死刑が執行されました。こうして白暁燕さん誘拐殺人事件は、凄惨な記憶と共に、台湾の人々にとって忘れられない事件となりました。
 

白暁燕さん誘拐殺人事件<犯人>

白暁燕さん誘拐殺人事件主犯①高天民

白暁燕さん誘拐殺人事件の主犯格は3人います。まずリーダー格だったのが、事件当時に白暁燕さんを乗せた車を運転していた高天民です。高天民は台湾マフィアのメンバーでした。逃走中に整形外科医に整形をさせたのも、口封じのために医師夫妻と看護師を殺害したのも、高天民だったようです。

白暁燕さん誘拐殺人事件主犯②林春生

白暁燕さん誘拐事件当日、主犯の1人であった林春生は陳進興と共に、白暁燕さんを無理矢理車に乗せました。また誘拐された白暁燕さんの小指を切断したのも、林春生だと言われています。最初の警察官との銃撃戦が起きた時、6発の銃弾を受け、自殺をしています。

白暁燕さん誘拐殺人事件主犯➂陳進興

白暁燕さん誘拐殺人事件で最後まで生き残ったのが、陳進興です。白暁燕さん誘拐の時は林春生と共に白暁燕さんを無理矢理に車に乗せて拉致しました。また、整形外科医夫妻と看護師殺害の際に看護師を強姦したのも陳進興です。真偽のほどは定かではありませんが、逃亡中も陳進興は強姦事件を起こしていたと言われています。

判決は誘拐、殺人、強盗で死刑5回、その他強姦も含める暴行罪で懲役59年9カ月の判決を受けました。1998年10月6日、陳進興は死刑が執行され、この世を去りました。

白暁燕さん誘拐殺人事件関連人物

白暁燕さん誘拐殺人事件の主犯格はこの3人でしたが、他に関わったメンバーが多数存在しました。主犯以外に逮捕された人間は総勢18人に及びました。さらに、主犯たちの身内も白暁燕さん誘拐殺人事件に関与したとみられています。主犯の3人が台湾全土に指名手配されたにも関わらず、8月に至るまで全く見つからなかったのです。これは身内がかくまっていたからだと言われています。

犯人達の動機は?

白暁燕さん誘拐殺人事件の犯人たちは、どうして白暁燕さんを誘拐したのでしょう?犯行の理由には2つの説があります。まず、母のパイピンピンさんが長年に渡って、台湾暴力団追放運動に関わってきたことへの報復です。もしそうなら、白暁燕さんは最初から殺される運命に決まっていたのかもしれません。もう1つの説は、パイピンピンから借金返済を迫られていたゲーム場経営者の張志成の依頼というものです。

1つ目の理由は、主犯の3人が台湾マフィアの一員だったことから推測された説になります。2つ目の説はどのようにして出てきた説かは不明ですが、そのような経営者は存在しないという情報もあります。主犯の3人のうち2人は自殺し、最後に残った陳進興は多くを語らずに死刑となってしまいました。結果、真相は未だ藪の中にあります。

暁燕さん誘拐殺人事件<報道>

白暁燕さん誘拐殺人事件の報道①マスコミの暴走

誘拐殺人事件が発覚してからすぐにマスコミが騒ぎ出し、真相はどうなのかがわからなくなっているのがこの事件の特徴です。輪姦され、手足に重しをつけられて捨てられたという死体遺棄方法は、これが真相なのでしょうか?性的暴行に関しては、なかったとされる意見もあります。若い女性が複数の男に拉致されたのだから、慰み者になっただろうという予想は真相から離れる原因となったようです。

マスコミが暴走した理由の1つに、最初に犯人グループが白暁燕さんの裸の写真を撮ったことがあるでしょう。左胸が写った写真では、白暁燕さんは全裸だったとされています。そのような写真を撮るのなら、当然犯人たちは強姦、輪姦していたのではないかという推理です。実際、逃亡中に訪れた整形外科医のところで、看護師が強姦されています。

白暁燕さん誘拐殺人事件の報道②報道によって二度殺された

マスコミ報道では、残忍極まりない方法で殺害され、遺体は人間の原型をとどめていなかったと言われています。しかし台湾警察の調書や裁判記録、さらに遺体の写真の検証をしても、マスコミ報道ほど凄惨な殺害方法だったという事実はとうとう確認できませんでした。白暁燕さんは犯人によって命を奪われただけでなく、マスコミによって、二度殺されたようなものでした。報道に尾ひれがついたというのが真相のようです。

白暁燕さん誘拐殺人事件<真相>

白暁燕さん誘拐殺人事件の真相①遺体の状況

パイピンピンが後に記した著書によると、白暁燕さんの遺体は「豚のような姿で発見された」とあります。最初の遺体発見者が白暁燕さんの遺体を豚の死体だと思ったという点が真相なのかもしれません。しかし豚の死体だと思ったことが真相だとしても、遺体の状況や殺害方法とは関係ない、些細な事柄です。生前の顔を模した仮面をつけて葬式を行ったという話の真相もはっきりしません。

白暁燕さん誘拐殺人事件の真相②マスコミが覆い隠した真相

過度のマスコミ報道が白暁燕さん誘拐殺人事件の真相を見えずらくさせています。若い女性が性的に虐待され、猟奇的な殺害方法で殺されたとなると、新聞も雑誌も売れるでしょう。しかしそうしたマスコミ報道が真相から離れているのではないかという疑問は今でも残っています。事件の真相は、犯人によってではなく、マスコミによって覆い隠されてしまった可能性があるのです。

白暁燕さん誘拐殺人事件の真相③陳進興の裁判記録

1997年11月7日の裁判記録によると、誘拐当日は白暁燕さんをそのまま用意していた部屋に連れて行き、白暁燕さんの小指を切り落としました。しかし痛みで白暁燕さんがやかましく、3人は殴ったり蹴ったりしました。しかし白暁燕さんを強姦したりはしていないと証言しています。白暁燕さんの死因は月餅を差し出して食べる最中に喉に詰まって死んだと主張しています。しかし法医学者はその証言を否定しています。

白暁燕さん誘拐殺人事件<両親>

父親は漫画家の梶原一騎さん

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白暁燕さんの父親は日本の漫画原作者の梶原一騎です。『巨人の星』や『あしたのジョー』といった漫画の原作者であり、「スポ根もの」分野を確立した功績は非常に大きいものです。写真の右端の男性が梶原一騎です。なかなか強面の容貌をしていますが、パイピンピンと結婚していた頃、家庭内暴力に悩まされたというエピソードを聞いた上で見ると、怖い印象を持つ人も多いのではないでしょうか?

梶原一騎①2度の結婚歴

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梶原一騎は本名は高森朝樹(たかもりあさき)といって、高森朝雄(たかもりあさお)の筆名の時もありました。『あしたのジョー』は高森朝雄名義で書かれました。パイピンピンと結婚する前に、高森篤子さんと結婚していました。1973年から1985年にかけて、高森篤子さんとは離婚をしていました。その間に来日したパイピンピンと結婚しました。

梶原一騎②プロダクションを設立

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パイピンピンとの結婚期間は1979年から1981年でした。その後、1985年に高森篤子さんと寄りを戻しています。篤子さんとの間に2人の娘と3人の息子がいます。パイピンピンとの間には、子供は白暁燕さんだけです。1973年、西城秀樹の提案により『愛と誠』が松竹で映画化されました。これを機に芸能界のひのき舞台に出ることになります。『愛と誠』のテレビドラマ化にあたり、梶原プロダクションを設立します。

梶原一騎➂無法の果てに

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梶原一騎が原作とする映画のヒットが続くことで、単なる劇画作家から、プロデューサー、芸能プロダクションのトップとしてのイメージを手に入れます。当時の映画界の四巨星と言われた人とも飲みに出かけるなど、芸能界で名を知られるようになりました。しかし傷害事件や暴行未遂事件などのスキャンダルを起こし、連載が全て打ち切りになって名声が地に落ちた時もありました。

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梶原一騎は1987年年明けに体調を崩し、入院していましたが1月21日に亡くなります。辞世の句が残されていたそうです。「我が命 珠の如くに慈しみ 天命尽くば珠と砕けん」というものでした。死後数年間は梶原一騎について語ることはタブー視する風潮が生まれました。梶原一騎の再評価の機運が高まるのは、1990年代半ばなってからです。

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白暁燕さんは1歳の頃に父親と別れ、台湾に帰国しています。白暁燕さんにとって、父親の梶原一騎とはどういう存在だったのでしょうか?梶原一騎は1987年に亡くなり、白暁燕さんの事件は1997年に起こります。つまり梶原一騎は娘の誘拐事件の前に亡くなっているのです。もし梶原一騎が生きていたら、娘の不幸に何を思ったことでしょう。

母親はアイドルのパイピンピンさん

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パイピンピンは台湾基隆市の貧しい家庭に生まれ、10代の頃に学校を中退しています。1973年に台北で開かれた歌唱大会で優勝したのを機に、エンターテイメントの世界で活躍を開始します。そんなパイピンピンは1975年に歌と演技を学ぶため、日本に渡ります。そして出会った梶原一騎と結婚します。

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まもなく子供を身ごもりますが、梶原一騎の家庭内暴力とアルコール問題に悩み、別居します。1980年、一人娘の白暁燕を生みます。つまり白暁燕さんは梶原一騎と共に過ごす機会がありませんでした。翌年、梶原一騎の家庭内暴力やアルコール中毒を理由に離婚しています。

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パイピンピンは1980年代の半ばに台湾でもっとも有名な歌手の1人として活躍します。1997年の白暁燕さんの誘拐殺人事件を契機に、死刑存続を訴える社会活動家として活躍を始めます。世界的に死刑廃止の流れがある中で、2010年に中華民国法務部に反対して死刑存続を主張しました。当時の法務部長は辞任に追い込まれ、台湾の死刑存続に繋がりました。

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現在も第一線で活躍し、インスタグラムにも多くの写真が投稿されています。娘の死を乗り越えて生きるその姿を写真で今も見ることができます。白暁燕さんの死を忘れた瞬間はないでしょうが、台湾の有名芸能人として笑顔の写真が多くみられます。

白暁燕さん誘拐殺人事件<その後>

白暁燕さん誘拐殺人事件は台湾社会に大きな衝撃を与えました。台湾の治安悪化が大きな問題となりました。この事件のため、警察署長は責任を取って辞任しました。

白暁燕さん誘拐殺人事件を受けて、当時の台湾のマスコミは国民からの激しい批判にさらされました。なぜなら身代金の受け渡しの場が2回も設けられたにもかかわらず、2回とも失敗したからです。そもそも1度目の身代金受け渡し失敗の時点で、白暁燕さんは殺害されていますが、失敗の原因がマスコミが殺到したことが原因とされています。

普通はこのような誘拐事件の場合、報道規制が敷かれます。しかし白暁燕さんの誘拐事件では事件発生からすぐにマスコミに情報がリークされました。各社報道合戦を繰り返し、国民の怒りを買いました。また、白暁燕さんの遺体の写真が新聞に掲載されたことも、大きな問題になりました。マスコミの興味本位な報道は、惨殺を引き起こした大きな原因であると、台湾では大規模な抗議行動が起こりました。

パイピンピンは大事だった愛娘を奪われたことから、また子供をこの手に抱きたいと願うようになりました。パイピンピンは子供を得る手段として人工授精を繰り返します。しかし全て失敗してしまいました。最後は医者から、これ以上は命にかかわるとドクターストップをかけられてしまいます。医者の必死の説得に、パイピンピンは子供を持つ夢を諦めました。

白暁燕さんに宛てた母親の手記

白暁燕という一人娘を失ったパイピンピンの悲しみは大変なものでした。パイピンピンは白暁燕さん誘拐殺人事件後、1998年の2月に被害者の遺族として手記を発表しています。タイトルは『燕よ、空へ――慟哭を乗り越えて』というものです。日本では1998年にルー出版から発売されています。

この手記の中でパイピンピンは、娘を失った悲しみについて語っています。「あなたの死を無駄にしない!」と悲しみを乗り越えたパイピンピンの渾身の書き下ろしです。

父の梶原一騎の作品は今も評価され、光を失うことなく輝き続けています。しかし、その娘の白暁燕さんの壮絶な死について知っている人はどれだけいるでしょうか?まだ16歳と若く、未来への希望でいっぱいだったであろう白暁燕さんを、犯人グループは無残なやり方で殺害しました。この手記は読後がすっきりするものではありません。しかし白暁燕さんの無念、パイピンピンさんの怒りが十二分に伝わってきます。

パイピンピンは白暁燕さんを記念して「白暁燕文教基金会」を設立しました。この基金は社会安全、道徳教育。誘拐被害者の心のケアに関する法律の制定と、死刑存続を訴えて、白暁燕さん誘拐殺人事件が発生した4月14日に合わせて毎年活動を行っています。

忘れられない凄惨な事件

この事件を日本で語る時、「女子高生コンクリート詰め事件と並ぶかそれ以上の凄惨な事件」と言われます。どちらの被害者も未来に夢を膨らませていた高校生で、その尊厳がとことん貶められる残虐な殺され方をしました。殺害に至るまでの恐怖も想像を絶するものがあります。世界的に死刑廃止論が大きな流れになっている中で、被害者家族のパイピンピンは死刑存続のために今も戦っています。

死刑は廃止すべきなのか、存続すべきなのかは議論が分かれるところでしょう。ただ、このような凄惨な事件が現実に起き、被害者の尊厳が損なわれる度、人はどこまで残忍になれるのかと戦慄を覚えることでしょう。白暁燕さん誘拐殺人事件は興味本位ではなく、台湾国家を揺るがし、死刑制度を考えるまでに影響を与えた事件として語り継いでいくべきものなのです。

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