80年代ファッションの特徴と流行を解説!古くて新しい今風コーデも紹介
日本では好景気ただ中、世界では冷戦末期の80年代のファッションには、今でもおしゃれで今でも取り入れやすいアイテムが沢山あります。最近注目されているバブリーファッションも含め、ハマトラ、カラス族、竹の子族など80年代のトレンドをご紹介します。
目次
- 80年代のファッションが知りたい!
- 80年代ファッションが今注目されている理由
- 80年代の日本は好景気の只中
- 80年代の世界はどんな時代?
- ドラマに見る80年代ファッション
- 80年代はアイドル全盛期!ファッションアイコンにも
- 80年代のファッションリーダー海外セレブ
- 80年台のストリートファッション!竹の子族
- 80年代に登場!最先端ファッションのDCブランド
- DCブランドにより生まれた「カラス族」ファッション
- すごいぞ!80年代の女子大生ブーム
- お嬢様風のハマトラファッション
- マガジンハウスのファッション誌が大人気だった80年代
- 80年代後半から増加するファッション・オリーブ少女
- ロリータ・ファッションは80年代が始まり
- 今も人気のスタジャンは80年代のトレンドファッション
- セクシーなマイクロミニスカが80年代風!
- 80年代チンピラファッションが今逆におしゃれ!
- エアロビブーム到来!スポーツファッションの広がり
- 80年代風ケミカルデニムを今っぽく着る
- 80年代バブリーファッションにトライ!
- 今も取り入れられる80年代のファッション
80年代のファッションが知りたい!
80年代といえば、日本が好景気に沸いていた時代ですね。また、海外では冷戦の終結やインターネットが誕生したり、マイケル・ジャクソンなどの新たな世界的スターか生まれるなど、新たな時代を迎えるような雰囲気がありました。

最近、そのような80年代の流行が再び注目されています。今回の記事では、80年代の日本と海外の様子と、その時代に流行したファッションをご紹介します。

80年代ファッションが今注目されている理由
平野ノラさん
80年代後半、バブル時代の女性のファッションをみにまとい物真似するお笑い芸人平野ノラさんは、2016年から2017年にかけて大人気になりました。テレビで引っ張りだこの平野ノラさんから、バブルの時代に再び注目が集まりました。
ゲロゲロー!
— 平野ノラ (@hiranonora) May 8, 2018
あんたも故障中なの?! pic.twitter.com/MVc0abvazx
バブリーダンス
大阪の公立高校・登美ヶ丘高校のダンス部は昨年、荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー」を踊り、その特徴的な振り付けとキレキレのダンス、80年代風のファッションやヘアメイクの完成度で話題になりました。文化祭や披露宴の余興では、色々な人がコピーダンスを踊って80年代の雰囲気を楽しみました。

80年代の日本は好景気の只中
80年代前半の日本
本格的なバブル経済は、80年代後半からですが、80年代前半から「新しい時代」「良い景気」という風潮が日本で生まれてきます。日本初のクラブやディスコのオープン、ファミコンやCDの発売、インターネットの誕生など、ディズニーランド開場など、明るいニュースがお茶の間を彩りました。また海外のものでは、映画「ET」「ランボー」などがヒットしました。

80年代後半の日本
1985年、プラザ合意が結ばれると今までのドル高が一気に解消され、円高となってしまいます。そこで日銀は金利の引き下げを行い、それにより地価がインフレ状態となりました。インフレは他のものにも及び、日本全体でインフレが起こります。これがバブル景気です。

社員旅行はハワイが当たり前、海外旅行でブランドバッグを買い漁る、女性が外食したら見知らぬ男性がおごってくれるなど、異常なまでの好景気となっていました。それが1980年代後半から1990年代前半の日本の特徴です。

80年代の世界はどんな時代?
80年代の日本は好景気真っ只中でしたが、海外で起こっていたことも見てみましょう。80年代にも様々なことがありましたが、代表的な事件は冷戦の崩壊です。70年台から80年代にかけてのヨーロッパや日本の経済高成長のなか、アメリカは海外との貿易赤字と財政赤字に苦しんでいました。また、ソ連も長年の社会主義政策や中国との対立のなか経済停滞に苦しんでいました。

米ソが経済の鈍化を迎え、両国を中心する西側諸国と東側諸国の対立という冷戦の特徴的な構造も変容していきます。そんななか、1980年代半ばにソ連書記長に就任したのがゴルバチョフです。彼は「ペレストロイカ(立て直し)」や「グラスノスチ(新思考外交)」を掲げ、ソ連の様々な改革に挑みます。外交面では、東側諸国への締め付けを弱めました。
1989年11月9日、28年前の今日、東ドイツ市民が大量に西ドイツへ入り、ベルリンの壁が崩壊。『アトミック・ブロンド』はこの前夜の話。そして同年12月、地中海でのマルタ会談で米ブッシュ大統領とソ連ゴルバチョフ書記長が協議し、44年間続いた東西冷戦は終結した。#アトミックブロンド pic.twitter.com/MjaCYZnGQo
— 映画『アトミック・ブロンド』公式 (@atomicblonde_jp) November 9, 2017
その結果、東欧諸国の共産党政権の倒壊やベルリンの壁崩壊など、東側諸国の民主化が進んでいきます。そして80年代の末期・1989年12月、アメリカのブッシュ(父)大統領とゴルバチョフがマルタ会談を行い、冷戦の集結が宣言されました。
ドラマに見る80年代ファッション

明石家さんまが主演の「男女7人夏物語」は80年代のバブルが始まる頃・1986年に放送されました。後に夫婦となる明石家さんまと大竹しのぶが出会ったドラマとしても有名ですね。女性陣のワンピースファッションは今見てもおしゃれです。最高視聴率が30%を越える人気作品で、翌年続編として「男女7人秋物語」が放送されました。

80年代末に放送された「愛し合ってるかい!」は陣内孝則と小泉今日子が主演のラブコメディです。原宿にある女子校と男子校を舞台にした学園ドラマで、フジテレビ系列の月曜九時、「月9」ドラマとして放送され、人気を博しました。こちらのポスターでは、小泉今日子の真っ青なライダースジャケットがバブル的なファッションを感じさせます。
80年代はアイドル全盛期!ファッションアイコンにも
髪型が流行した松田聖子

国民的アイドル松田聖子は、80年代の日本のアイドルブームを牽引するトップスターでした。プロの音楽家からも評価される歌唱力を持っており、可愛いだけではない80年代のアイドル文化を作ったと言われています。老若男女誰もが憧れるアイドルで、女性の間では彼女の特徴であるボブヘアーを真似る「聖子ちゃんカット」が大流行しました。
ファッションに注目が集まった小泉今日子
現在も映画やドラマで活躍している小泉今日子は、80年代はKYON2(キョンキョン)の愛称で、アイドル・女優として親しまれていました。85年のシングル曲「なんてったってアイドル」は、自分をアイドルと呼称することが当時としては新鮮で話題になりました。

そんな小泉今日子はファッションへのこだわりが強く、自らで衣装を選んだり、制作したりすることもありました。アイドルなのにガーリーではない特徴的なファッションは新鮮で、そのオリジナリティも支持されていました。
80年代のファッションリーダー海外セレブ
マドンナ

80年代には、海外の女性シンガーのファッションが日本でも大人気でした。80年代を代表する海外の女性シンガーといえば、マドンナです。彼女は今でも世界的なスーパースターですね。1980年代前半にデビューした彼女は、その歌唱力はもちろんボーイッシュなスタイルやロックなスタイルなど、大胆な着こなしのファッションでも有名でした。
シンディ・ローパー

シンディ・ローパーも80年代にデビューした女性シンガーです。ポップで派手なアイテムを組み合わせたファッションは、彼女のトレードマークでした。遊び心をとりいれたロックファッションは、特徴的でおしゃれなスタイルとして日本でも人気でした。
80年台のストリートファッション!竹の子族

80年代前半、代々木公園付近の歩行者天国でディスコサウンドに乗っ集団て踊る若者の集団がいました。カラフルで派手なファッションを好んだ彼らは「竹の子族」と呼ばれ、若者の象徴的存在となりました。竹の子族の中には様々な派閥があり、「アイラブユー」「エメラルド」などの言葉に感じで当て字をつけた特徴的な名前のチームが、それぞれの衣装や振り付けを持っていました。

「竹の子族」という名前は、彼らが衣装を買いに通っていた原宿のお店「ブティック竹の子」から来ています。竹の子族は原宿のみならず、吉祥寺など東京各地、さらに名古屋などの地方都市にも出現しました。

80年代に登場!最先端ファッションのDCブランド
DCブランドは、「Designer's and Character's brand」のことです。つまり、デザイナーがブランドのコンセプトやアイテムの制作まで一貫して関わるファッションブランドのことです。既製品の服が一般的になり、ファッションの均一化・陳腐化が起こっていた頃、70年代後半から誕生しました。80年代に全盛期を迎え、今でも有名な様々なブランドが創業しました。

JUNKO KOSHINO
史上最年少の19歳でファッションデザイナーの登竜門・装苑賞を受賞したコシノジュンコは、ふぁブランドJUNKO KOSHINOを立ち上げました。1980年代以前からパリコレクションに参加する、日本を代表するブランドでした。日本の伝統と西洋的なファッションを掛け合わせ、鮮やかな色彩のアイテムを作り出しました。

KENZO
ファッションデザイナー・高田賢三のブランドKENZOは、80年代に開始して鮮やかで平面的なデザインで、カジュアルかつモードなファッションアイテムを生み出しました。現在でも、虎の顔のマークやブロック体のロゴは海外セレブ含め世界中のインスタグラマーの写真で見られますね。
イッセイミヤケ
三宅一生のファッションブランド「イッセイミヤケ」は、「一枚の布」というコンセプトの元、布の素材にこだわったファッションを披露しました。80年代からパリコレクションに参加し、世界的ファッションブランドになりました。今でも日本・海外ともに人気が高いです。

DCブランドにより生まれた「カラス族」ファッション
80年代DCブランドの代表、ヨウジヤマモトや川久保玲のコム・デ・ギャルソンは、真っ黒なファッションで世界に衝撃を与えました。「東からの衝撃」と呼ばれ、日本ファッションの知名度が海外に広がったきっかけとなりました。その特徴は色だけではなく、しわしわの素材やシンプルで大胆なカッティングなど、海外、特に西洋の構築的なファッションの概念を打ち砕くものでした。
川久保玲(かわくぼれい)
— HERITAGE (@HERITAGEjp) November 2, 2013
ファッションデザイナーであり、1969年にファッションブランド「コム デ ギャルソン」を立ち上げた。
パリコレで世界のモード界を震撼させた川久保は山本耀司などと共に「黒の衝撃」と呼称された。 pic.twitter.com/ZE9pEQL8et
その独創的過ぎるファッションに海外メディアからは批判も受けましたが、日本では「カラス族」と呼ばれる、全身真っ黒な服に見を包むファッションが、80年代の若者の間で流行しました。

すごいぞ!80年代の女子大生ブーム
オールナイトフジ
@retoro_mode オールナイトフジ写真集!!
— 歩く子猫 (@koneko_mild) May 22, 2017
今でも大事に持ってます(*´∀`*)
「土曜の夜はオールナイトフジ!!」 pic.twitter.com/igSgsSh1Mv
80年代前半にフジテレビ系列で開始した深夜番組「オールナイトフジ」は、現役の女子大生が出演・進行をするテレビ番組です。出演する女子大生たちは「オールナイターズ」と呼ばれ、写真集が次々発売されヒットするほどの人気でした。この番組を皮切りに、80年代には女子大生に脚光が集まる「女子大生ブーム」が起こります。
JJ
タレントやモデルのすっぴん画像はブログでおなじみになったが、昔は雑誌でメイクのbefore/after記事がけっこうあり、JJ創刊号(1975年6月号)のこの夏木マリはけっこうインパクトがある。 pic.twitter.com/lWkiwqB8XD
— ESHITA Masayuki (@massa27) April 4, 2015
80年代の女子大生ブームを牽引したもう一つが、ファッション雑誌「JJ」です。当時人気だった集英社のライバルファッション誌「non-no」とは異なり、日本人の女子大生をモデルとして起用し、読者に近い雑誌として人気を博しました。その人気の高さから、「CanCam」「ViVi」「Ray」という、JJそっくりのファッション誌が相次いで創刊し、まとめて「赤文字系」雑誌と言われました。
お嬢様風のハマトラファッション

上で、女子大生ブームを起こしたファッション誌JJをご紹介しましたが、JJからは様々な流行が生まれました。そのうちのひとつが、「ハマトラ」ファッションです。ハマトラとは、横浜トラディショナルの省略で、フェリス女子大学の学生がお手本となっていました。

ハマトラ三種神器と言われていたのが、タツノオトシゴのマークが特徴的なフクゾーの洋服とミハマ用品店の靴、そしてキタムラのバッグでした。チェックスカートやポロシャツ、ローヒールの革靴などプレッピーなアイテムが特徴の、学生風コーディネートでした。
マガジンハウスのファッション誌が大人気だった80年代
80年代のマガジンハウスはバブル期の日本を象徴する出版社でした。都築響一さんは、上智大学在学中に「POPEYE」のアルバイトからフリーライター兼編集者になり、会社に机を貰って仕事をしていました。アメリカ取材で大学は途中で行かなくなり、最近まで自分が卒業したのかも知らなかったそうです。
— 竹熊健太郎《地球人》 (@kentaro666) April 30, 2018
80年代のストリートファッションを牽引していたのが、マガジンハウスのファッション誌です。OL向けライフスタイル誌のan・an、メンズファッション誌のPOPEYE、そして伝説の女子学生向けファッション誌Oliveが当時の最先端のおしゃれでした。
an・an

職業や性についてなど、女性の社会進出に伴って自由なライフスタイルやファッションを紹介したのがan・anです。今でも働く女性から支持を集めている週刊誌ですね。
POPEYE

1976年に創刊したPOPEYEは、アメリカ西海岸のカルチャーを日本に伝えました。当初はan・anの中の連載として始まりましたが、評判を呼び月刊誌、次いで月2回刊行の雑誌となりました。今でも「シティボーイ」に向けたカルチャー雑誌として、高い人気を誇っていますね。
Olive
「オリーブ」でした。この雑誌↓
— ch!ii@231🛒ฅ( •ω• ฅ)執行済低浮上ぎみ (@chii30815459) May 10, 2018
(今は廃刊)がすごく好きだったのと、オリーブ色とオリーブの木が好きだったので#このタグを見た人はサークル名の由来を語る pic.twitter.com/dxdQvJiQZR
1982年から2003年まで刊行したOliveは、POPEYEの姉妹雑誌という位置づけで誕生しました。ファッションだけでなく、音楽やライフスタイルなど、都会の少女カルチャー全般を発信しました。中高生を中心に絶大な支持を集めたこの雑誌は、下で紹介するように、「オリーブ少女」という言葉が生まれるほどの社会現象を巻き起こしました。

80年代後半から増加するファッション・オリーブ少女
JJ,CanCamといった赤文字系雑誌に対し、オリーブは「青文字系」と言われました。バブルの時期、コンサバファションが流行するなか、そこから距離をとるオリーブ少女も発生しました。モテることではなく人と違うことを意識したオリーブ少女の憧れの対象として定められていたのは、フランスの女子学生「リセエンヌ」です。
🦄オリーブ1984年 9/3 号
— * ☆*♡✞Rie1980s✞♡* ☆ (@rienda0211) March 3, 2018
リセエンヌの秋、おしゃれ開始!🦄
デビュー前と思われるミポリン発見❣️
14歳ですよ、中3、、、中3ですよ、、#中山美穂 #ミポリン #昭和か pic.twitter.com/mFt0L3JgWW
ダッフルコートやチノパンなど、シンプルながらもセンスあふれるファッションが紹介されていましたが、オリーブにおいて特に特徴的だったのは、その世界観です。モデルはほとんど外国人で、そのアンニュイな表情が非日常的な世界観を伝えていました。
【エディターズピック】「ポパイ」と「ギンザ」 それぞれが作った「オリーブ」はこんなにも違う! https://t.co/k7q7YJDRpt #OLIVE @POPEYE_Magazine @GINZA_magazine pic.twitter.com/lEhpDc7wYW
— WWD JAPAN (@wwd_jp) December 13, 2017
オリーブは今でも語り継がれる影響力を持った雑誌であり、マガジンハウスの70週年記念の「Oliveプロジェクト」として雑誌・POPEYE、GINZAの付録としてオリーブが復活したときは、大きな話題となりました。
ロリータ・ファッションは80年代が始まり
EYESCREAM増刊【tulle Vol.2】書店、Amazonにて発売中。ピンクハウス、カールヘルムが掲載されています。
— PINK HOUSE (@pinkhouse_staff) May 11, 2018
2018 SUMMER COLLECTIONのアイテムをハロー!プロジェクトのグループこぶしファクトリーのメンバー井上玲音さん、浜浦彩乃さんです。ぜひご覧下さい。 pic.twitter.com/P1p4Q4Vvz8
フランス人形のような洋服が独特なロリータファッションは、80年代に端を発します。DCブランドのひとつ、「ピンクハウス(PINK HOUSE)」から人気に火がつき、日本のファッション界に広がりました。ピンクハウスは、フリルや花柄、クマモチーフなど、少女性の高いアイテムを展開しています。
フリフリのピンクハウスに身を包んだ井川遥が見れる朝ドラ天才…(泣)と思いながら毎朝見てる pic.twitter.com/bTKJ35jF0v
— シャーイン (@_re_00) May 10, 2018
現在放送中のNHK朝の連続テレビ小説「半分、青い。」で漫画家の秘書・菱本若菜を演じる井川遥さんが劇中で着用して話題になっているのが、このピンクハウスのロリータ服です。半分、青い。は1980年代後半を舞台にした作品です。

ピンクハウスは今でも健在のブランドで、クラシックでガーリーな特徴の洋服が支持されています。ロリータファッションだけでなく、このようにカジュアルなファッションにも取り入れられます。

今も人気のスタジャンは80年代のトレンドファッション
もともと野球選手の防寒着だったスタジャン(スタジアムジャンパー)は、80年代ごろからおしゃれなファッションアイテムとして流行しました。あの世界的ポップスター、マイケル・ジャクソンが着ていたことでも有名です。
このスタジャンかっこいい✨マイケルがきてるからってもあるえど。 pic.twitter.com/BFKSJSH3mC
— ⚡️🇬🇧ハル🎌⚡️17⚡️ (@EyVo9) November 14, 2016
右の写真でマイケル・ジャクソンが着ているのは、日本のブランド「セーラーズ(SAILORS)」とのコラボアイテムです。セーラーズは、80年代のアイドル・おニャン子クラブの衣装として採用されたことから一世を風靡したブランドです。水兵のキャラクターがアイコンで、渋谷を拠点に広がっていきました。海外ミュージシャンのスティービー・ワンダーも愛用していたようです。
@retoro_mode
— JITO (@jijijito) August 23, 2015
「セーラーズ」
おニャン子が着ていた事でブームになったが、あのマイケル・ジャクソンも愛用していた。 pic.twitter.com/hmoNMhfjHh
カジュアルなスタジャンは、今ではリバイバルブームとなり、ストリートファッションの定番アウターですね。下の写真の古着のアウターはレトロな雰囲気を感じさせ、ぶかっと着ることで女の子らしいコーディネートとなっています。

セクシーなマイクロミニスカが80年代風!
ミニスカートが日本のファッションに取り入れられ始めたのは、1960年代からです。その後、イギリス人モデルのツイッギーが来日したときには大流行しました。その後1970年代には若干下火となりますが、80年代に入り再び人気になっていきます。大流行したのは80年代末、バブルでボディコンなどがトレンドだった時代です。

バブル期には、「マイクロミニ」と呼ばれる、膝上30cmより短いスカートが流行しました。シルエットも、タイトなものが人気でした。下は今の韓国ファッションですが、韓国の洋服もミニスカートやタイトなシルエットのものが多いですね。


80年代チンピラファッションが今逆におしゃれ!
80年代のヤンキーは「チンピラ」と呼ばれていました。彼らの特徴的なファッションが、今再び若者のあいだで流行しています。

スカジャン
光沢のある生地と派手な刺繍が特徴のスカジャンは、80年代ごろのヤンキーファッションとしてのイメージが定着しているアイテムですよね。横須賀のアメリカ軍基地の兵士たちが、ジャケットに和風の刺繍を入れたのがスカジャンの始まりです。最近では特に古着好きの若者に人気で、甘めのファッションの外しとして使われることが多いようです。

アロハシャツ
派手な色のアロハシャツは70年代後半から80年代前半にかけて、不良ファッションとして着られていました。現代であれば、ベースが黒や白など暗めの色のものを選び、ミニスカートなどガーリーなボトムスに合わせると、ヤンキー感が抜けて可愛いファッションアイテムとして着こなせます。
エアロビブーム到来!スポーツファッションの広がり
80年代後半には、海外からエアロビが日本に紹介されました。「レッツ・ゲット・フィジカル」という海外ドラマも大ブームとなり、それに伴い80年代のストリートファッションにもスポーティーで特徴的なアイテムが取り入れられるようになりました。

80年代に流行したスポーティーなファッションは、再び今年の春夏に流行ファッションとなっています。スニーカーを始め、マウンテンパーカーやライン入りパンツなどのスポーツ的な特徴を持つアイテムが人気となっています。
80年代風ケミカルデニムを今っぽく着る

80年代のストリートファッションとして流行ったジーンズといえば、ケミカルデニムです。ブルーとホワイトのむらがあるようなデザインが、派手なファッションに合わせて80年代の若者に着られていました。ケミカルデニムは、今再び原宿系のファッションとして愛用されていますね。
そもそもケミカルデニムとは、ケミカルウォッシュをしたデニム生地のことです。漂白効果のある薬品を混合した軽石をウォッシャーマシーンに入れ、水を使わず加工して独特なまだら模様に仕上げます。

レトロなデザインのTシャツに、きれいめのボトムスではなくケミカルデニムを合わせることで、オールドスクールなファッションになっています。レトロなデザインのものを選びつつも、トップスもボトムスもジャストサイズのものを選んで洗練されたシルエットにすることで、古臭さを感じさせません。

80年代バブリーファッションにトライ!
最後に、これぞ80年代!といった、バブリーなファッションをご紹介します。肩パッドやボディコンなどのディスコファッションは、80年代前半から80年代後半にかけてのDCブランドブームなどストリートファッションの反動で、セクシーで女性らしいファッションとしてトレンドとなりました。

肩パッド入のジャケットはウエストをきゅっとしめ、タイトスカートを合わせるのが80年代の主流でした。服装は全体的に派手に決めて、ストレートの黒髪はワンレングスヘアに、真っ赤な口紅を合わせるのが当時流です。羽がついたセンスも80年代ディスコのお決まりですね。

80年代風のバブリーファッションは 今部分的にトレンドになっているのです。こちらは、肩パット入りのイエローのジャケットを モードに、少しルーズな感じで着モードに少しルーズな感じで着こなしています。落ち着いた雰囲気のメイクをして、他のアイテムも落ち着いた色(選べばうまく着こなせます。

直角的な肩パッドが80年代を感じさせます。しかし、鮮やかな色のハイウエストパンツやネットでできたバッグは今のトレンドでもあるので、古臭い雰囲気はありません。
今も取り入れられる80年代のファッション

今回は1980年代の流行ファッションを 取り上げました。日本や海外の流行ファッションは、派手で明るいものが多かったですね 。今でも人気のアイテムがたくさんあり、流行は巡っているということを確認できましたね。是非皆さんも80年代の流行ファッションをコーディネートに取り入れてみてください。