辻菜摘の現在!サイコパスな佐世保事件の概要と親との関係とは?
長崎佐世保で起こった小学生による殺人事件、いわゆる佐世保事件。犯人の辻菜摘はどのような人物だったのでしょうか?サイコパスだったのか、どのような幼少期を過ごしてきたのか気になりますよね。ここでは辻菜摘の現在やFacebook、ブログなどがあるのかをご紹介します。
目次
辻菜摘が加害者である佐世保事件とは?
小学生による同級生殺害事件
辻菜摘が加害者である佐世保事件。あまりにも衝撃的な事件だったため、現在でも鮮明に覚えている方も多いのではないでしょうか?佐世保事件とは、2004年、当時小学6年生だった辻菜摘が、同級生の御手洗怜美さんの首をカッターナイフで殺害したという殺人事件です。

加害者も被害者も小学生で、殺人現場が学校ということで、世の中にかなりのショックを与えました。被害者の死因は、加害者の辻菜摘にカッターナイフで首を切りつけられたための失血死でした。子供が安心して勉強したり友達と遊んだりする学校での殺人事件ということで、特に子供を小学校に通わせている親御さんの衝撃は大きかったようです。

事件当日、午前中の授業が終わった後、加害者の辻菜摘は御手洗怜美さんを学習ルームに呼び出しました。カーテンを閉めて床に座らせ、御手洗怜美さんの背後に回り、背後から片手で目隠しをし、首と左手を切りつけました。非常に恨みが強かったのか、御手洗怜美さんの首の傷は深さ長さともに約10cm、左手の甲の傷は骨が見えるほど深かったそうです。

首の傷の深さが約10cmとはどのくらいの深さなのかイメージがしにくいですが、大人の首の直径は約13cm~15cmだということなので、頸動脈は完全に切れている状態ですね。頸動脈を切られてしまったために大量の出血が起こったと考えられます。

辻菜摘は御手洗怜美さんが血を流してから動かなくまでのおよそ15分間、黙ってその様子を見つめ、動かなくなったことを確認してから教室へ戻り、御手洗怜美さんが血を流して倒れているので助けるように担任に伝え、救急隊員到着後に、自分が切りつけたことを伝えました。

小学生である辻菜摘が同級生の首をカッターで切りつけて大量出血で殺害してしまう動機とはどのようなものだったのでしょうか?小学生でも大きな喧嘩をすることはありますし、恨んだりすることもあるでしょう。でも明確な殺意を持って友達を殺害するというのは、余程の恨みがあったのでは?と推測できますね。

そのため、加害者の辻菜摘だけではなく、加害者の御手洗怜美さんにも殺害されるほどの恨みを買う人物だったのでは?という目を向けられたこともあったようです。御手洗怜美さん本人も辛いですが、殺害された娘が悪くいわれてしまうのはご両親の心痛は察して余りあるものがあります。

辻菜摘はカッターナイフを使って御手洗怜美さんを殺害しましたが、この殺害方法は前夜放送されていた『ホステス探偵危機一髪6』でカッターナイフでの殺害シーンを参考にしたと供述しています。またあまりにひどい殺害方法のため、被害者両親、学校関係者、救急隊員などがPTSDを発症し、さらにその中から惨事ストレスやサイバーズ・ギルトの兆候が見られました。

サイバーズ・ギルトとは、災害や事件などに遭遇して奇跡的に助かった人たちが、亡くなった人たちに対して助かってしまったことによる罪悪感を感じることをいいます。
インターネット上でのトラブルが事件に
佐世保事件の加害者である辻菜摘が被害者の御手洗怜美さんを殺害に至った動悸とはどのようなものだったのでしょうか?佐世保事件はインターネット上のトラブルが原因です。現在では小学生でもブログやLINEなどは多くの小学生が利用していますので、小学生がインターネットでどのようなトラブルを起こすのか?という疑問を持つ方も多いのではないでしょうか?

現在では小学生でも低学年からスマホを持ち、家族や友達とLINEを楽しんでいる子供は多いです。中にはブログをする小学生も。言語能力が未熟な小学生がLINEをすることで、言葉が足りずに意味を勘違いしてトラブルが起こることは多いようです。でも、佐世保事件が起こったのは現在と違い、それほどブログやFacebookといったSNSなどは広まっていませんでした。

加害者である辻菜摘と被害者である御手洗怜美さんは、現在のブログやFacebookとは違いますが、コミュニティサイトが運営しているウェブサイトでパソコンを使ってチャットや電子掲示板に書き込みをして楽しんでいる仲でした。他の友達も交えた交換日記などもしていてとても仲の良い友達でした。

その関係が崩れたきっかけといわれているのが、被害者の御手洗怜美さんが辻菜摘をおんぶしたときに、「重い」といわれたことです。これに腹を立てた辻菜摘はその場は「失礼しちゃうわ」といい返し終わりましたが、のちにインターネットのサイトに御手洗怜美さんは辻菜摘のその言い方がぶりっ子だと書き込みをしました。

現在でもFacebookやブログ、TwittermLINEなどのSNSや学校の裏掲示板などに学校の先生や友達の悪口をつい書き込んでしまうことはよくあることです。非常に相手を傷つける行為ではありますが、FacebookやブログなどのSNSに書き込むことは、本人に対して直接悪口をいうよりも罪悪感は薄れてしまうようです。

ぶりっ子だと書き込みをされた加害者の辻菜摘はそれを見て、御手洗怜美さんのパスワードを使ってその書き込みを削除しました。現在のブログやLINE、FacebookなどのようにIDやパスワードがわかれば不正ログインをすることは可能だったようでです。

御手洗怜美さんのパスワードを知っていた理由は、運営していたウェブサイトのやり方を御手洗怜美さんに教えたのが辻菜摘ですから、その際入手した可能性が高いでしょう。書き込みを削除された御手洗怜美さんは削除された書き込みを再び書き込み、それを見た加害者の辻菜摘は殺意を覚えたといいます。

また、被害者の御手洗怜美さんはそれだけではなくさらに「荒らしにアッタンダ。マァ大体ダレがやってるかワかるケド」と書き込みをしました。明らかに辻菜摘を指す書き込みですよね。最終的に辻菜摘は御手洗怜美さんのアバターを勝手に変更したり、サイトの初期化まで行いました。
インターネット以外にもトラブルが
小学生の頃、仲の良い友達と交換日記をしていた経験のある方も多いのではないでしょうか?仲良しの友達と秘密を共有しているようで楽しいものです。でも、交換日記はいじめを誘発する可能性が高いとして、現在では交換日記を禁止している学校もあります。学校で禁止されていなくても、担任の判断で禁止しているクラスもあるなど、現在の交換日記の対応はマチマチです。

辻菜摘は当時、クラスメイトと交換日記を楽しんでいました。辻菜摘が参加していた交換日記では、その日の出来事やオリジナルのイラストなどが描かれているいわゆる一般的な小学生の交換日記です。辻菜摘が書いた交換日記の内容は、大好きな『バトル・ロワイヤル』の内容を真似た創作小説が書かれていました。

現在でも人気小説やアニメなどをもとにした創作小説を書いている方は多くいますよね。辻菜摘が書いた創作小説には御手洗怜美さんなどクラスメイトが登場し、『バトル・ロワイヤル』同様に殺し合いをするという内容のものでした。それに対して、同じような状況になったらクラスメイトを殺すか殺さないかという意見を求めてもいました。

交換日記の中で辻菜摘は「NEXT」という表現をしようしていて、それは友達の中で非常にウケていたようです。現在ではウケなかったでしょうが、当時は田舎の小学校だったということもあり、「NEXT」という英語表記は非常に新鮮だったでしょう。現在のように小学生に英語の授業はありませんでしたから、博識と映ったかもしれませんね。

ウケが良いものはすぐ真似をしたくなるのが小学生ですが、辻菜摘はこの「NEXT」を他の友達が使うことを嫌い、交換日記内に「NEXT」の使用禁止を書き込んだのを御手洗怜美さんが「それはおかしい」と発したそうです。

このように交換日記で友達との関係がうまくいかず、交換日記をしていた友達が御手洗怜美さんを通じて抜けるように求めたといいます。このように辻菜摘はクラスでも孤立するようになっていきました。

辻菜摘とはどんな人物【幼少期】
パソコンが得意だった
小学6年生でこのような凄惨な殺人事件を犯す辻菜摘は、さぞ特殊な幼少期を過ごしたのではないかと考える方も多いのではないでしょうか?実際に、幼少期の教育や体験が人格形成に大きな影響を及ぼすことは現在では広く知られています。実際に辻菜摘はどのように育ったのでしょうか?

辻菜摘は父と母、姉との4人家族で、両親は少し躾に厳しいものの、一般的ないわゆる普通の家庭で育っています。どちらかというと大人しい女の子で、学校でも特に大きな問題を起こすようなことはなかったといいます。教師は活発な面もあるが暗い面もあるとしていますが、それでも両親も教師もこれほど残酷な殺人事件の加害者になるとは想像もしていなかったでしょう。

辻菜摘は幼少時よりパソコンが得意だっといいます。現在でもパソコンやスマホが得意で、ブログやFacebookを利用している子供も多いですよね。ウェブサイトの運営やチャット、掲示板の書き込みなどを行っていたことからも、パソコンに対しての知識が十分にあったことはうかがえますね。辻菜摘が危険な人物へと変化していったきっかけは、パソコンだったともいわれています。

小学校6年生にもなると、辻菜摘以外のクラスメイトにもパソコンを使いだす友達が増えます。辻菜摘は同級生の中でもパソコンに対する知識が豊富だったため、友達によく教えていて、佐世保事件の被害者である御手洗怜美さんもその1人だったといいます。

辻菜摘がウェブサイトの運営を始めたのは小学校5年生の頃です。サイト運営当初は、命の大切さを訴える詩を掲載するなど、いわゆる良い子キャラクターだったといいます。ところがインターネットに没頭していくうちに、2ch用語やネットスラングなどを使うことが増えていったようです。

Facebookやブログのように、自分の情報を発信する当時人気のあったコミュニティーサイトより、自身でウェブサイトを運営していた辻菜摘ですが、小学6年生といえば、いろいろなことに興味のある年頃ですから、インターネットでいろいろなことを検索するでしょうし、同じようなコミュニティーサイトや掲示板を見て回ったことでしょう。

2chの掲示板を直接見たり、2ch用語を使っている人の真似をして使うこともありますから、普段からどのような内容を発信しているのか、どのようなサイトにアクセスしているのかを、両親は確認しておくべきだったともいわれています。当時はパソコンに疎い大人も多かったため、そこまで管理することは難しかったのでしょう。

パソコンやインターネットに詳しい辻菜摘は著作権にも敏感で、小学生ながら自身のイラストには©マークを入れて自身の作品を守っていました。現在では著作権に関してはテレビニュースでも耳にする機会が多いですし、授業でも触れることがあるので小学生でも知っていますが、当時としてその知識があるのはすごいことだといえるでしょう。
ホラー小説好き
佐世保事件の加害者である辻菜摘は、パソコンが得意であると同時にホラー小説も好きだったようです。ホラー小説『ボイス』や『バトル・ロワイヤル』のファンで、映画化もされた『呪怨』にも興味を示していたといいます。特に『バトル・ロワイヤル』は相当のファンで、事件の4ヵ月前には友達にもよく貸し出していました。

インターネットのウェブサイトにも、『バトル・ロワイヤル』の同人小説を発表していて、学校でも将来の夢を小説家や漫画家と話しています。『バトル・ロワイヤル』の同人小説は続編を予定していて、そこでは学校のクラスと同じ38人が殺し合いをするという内容で、そこには辻菜摘や被害者の御手洗怜美さんも登場し、作中で殺害されるといった内容だそうです。

ホラー小説やホラー映画が好きな子供は多いです。怖い話のブログや動画をチェックしている子供も現在では多いです。いわゆる怖いもの見たさというもので、見た後怖くなるのに見てしまうという経験は誰にでもありますよね。実際、テレビでの怖い番組んども見ている小学生は多く、翌日はそれが話題になるほど。

ホラー小説や残酷なシーンのある小説を読んだからといって、誰しもが殺人を起こすわけではありませんし、人間性が残酷になるわけではありませんが、辻菜摘の場合は、こういったホラー小説や残酷なシーン描写のある小説が影響を与えたと考えられています。
ミニバスケを楽しむ
佐世保事件の加害者である辻菜摘はパソコンが得意でホラー好き、そして自分でも同人小説をウェブサイトで発表していると聞くと、インドアな人間性をイメージしますが、辻菜摘はミニバスケも楽しんでいました。事件が起こる前に父親によって退部させられていますが、ミニバスケットボール部の主力選手ではないものの楽しんで参加していたようです。

パソコンにより没頭するようになったのは、父親にミニバスケットボールを退部させられてからになるようです。これまでミニバスケをしていた時間、家にいるようになりましたが時間を持て余すことになったため、パソコンで暇をつぶすようになりました。

また持て余した時間は、DVDを見て過ごすことも増えました。『バトル・ロワイヤル』のような残酷シーンのあるR指定のものに興味が強く、姉の会員証を使ってレンタルしていたようです。
辻菜摘とはどんな人物【親との関係】
辻菜摘と両親とはどのような関係だったのでしょうか?辻菜摘の友達は、辻菜摘の親は厳しいと証言しています。辻菜摘自身も、父親が決まりを守れとうるさいと話していたことがありました。決まりを守るのは当然のことですし、きちんとした大人に成長してほしいという思いから、厳しく躾けているご家庭も多いでしょう。

厳しいがゆえに、辻菜摘は手のかからない良い子を演じていたともいわれています。休日は家族は一緒にいるものだという決まりがあったため、自宅から2km離れたスーパーで家族4人で買い物をしているなど、一見仲の良い家族に思えますが、辻菜摘にしてみれば押し付けられた疑似家族と捉えていたとも考えられます。

特に小学校も高学年になると親元から自立したがります。女の子は精神的な成長が男の子よりも早いのでその傾向は強いでしょう。休日に家族と一緒に過ごすのも毎回となれば不満が出ても不思議ではありません。「きちんと挨拶や勉強ができる子供に」と躾をするのは別段おかしなことではありませんが、自立心や自我が育ってきた高学年の女の子には自分を否定された感覚になることも。

辻菜摘の父親は、学校の成績が下がったことを理由に、小学校5年生の冬にミニバスケットボール部を退部させました。もちろん、学校での成績もとても大切ですから勉強が疎かになってまでミニバスケをやるべきではないと判断したのでしょう。

でも辻菜摘は、ミニバスケットボール部では決して主力選手ではないものの、仲の良い友達と一緒にスポーツを楽しめる大切な時間だったようです。被害者の御手洗怜美さんも同じミニバスケットボール部に所属していましたが、手術と家事手伝いを理由に退部してからも楽しく続けていました。

ミニバスケットボール部を退部したあと、辻菜摘の生活態度に変化があらわれ、授業中も絵を描いていたり、頬杖をついて居眠りをしたり、放課後、男子数人に向かって「馬鹿」という言葉を浴びせるなど、素行は悪くなりました。この頃からクラスメイトは辻菜摘を怖いとし、少しずつ距離を置くようになっていきました。

それでも辻菜摘が完全にキレることや孤立をしなかったのは、唯一の味方である御手洗怜美さんの存在があったからです。素行が悪くなりクラスメイトに距離を置かれ始めた辻菜摘さんに対して、御手洗怜美さんだけがミニバスケットボール部を退部したことなどを心配していたといいます。
辻菜摘とはどんな人物【被害者との関係】
被害者である御手洗怜美とは?
御手洗怜美さんは、小学校4年生のときに転入してきました。辻菜摘も御手洗怜美さんも絵を描くのが好きで上手という共通点があったため、すぐに打ち解けて仲良くなりました。また同じミニバスケットボール部に入部し、ともにミニバスケに汗を流すことで2人はより仲良くなったようです。

辻菜摘と御手洗怜美さんとの関係は非常に良く、当時、はやっていた交換日記もこの2人が一緒に参加しているものが多く、御手洗怜美さんが運営しているウェブサイトの「カフェスタ」のパスワードを教えるなど親友的な関係だったといえるでしょう。放課後、何度か御手洗怜美さんの自宅に遊びに行ったこともあり、御手洗怜美さんの父親とも顔見知りでした。

御手洗怜美さんはクラスの学級委員を努めるほどしっかりしたリーダー的な存在で、ミタちゃんと呼ばれ教師からの信頼も厚かったといいます。佐世保事件のような残酷な事件が起こった原因のひとつに、御手洗怜美さんがしっかりしていて信頼されていたことで、教師から手離れし、辻菜摘との人間関係に気がつかなかったこともあるでしょう。
Facebookなどが主流になり廃止されたSNS
現在はFacebookやLINE、InstagramがSNSの主流になっています。でも佐世保事件が起こった当時は現在とは違い、Facebookやブログなどではなく「カフェスタ」などのいわゆるプロフサイトが人気でした。プロフサイトでは自分のアバターを作り、自己紹介やブログを載せたり、同じプロフサイトのメンバーとチャットなどで交流することができるというものです。

現在でもアバターを使うブログはありますが、機能などは当時と現在では比較にならないほど進化しています。そのため、現在ではFacebookやLINE、Instagram、ブログが主流になっていて、カフェスタなどのプロフサイトはすたれてしまっています。当時、辻菜摘や御手洗怜美さんが利用していたカフェスタも現在では存在しません。
辻菜摘が考えた3つの殺害方法・実際の犯行
佐世保事件の被害者である御手洗怜美さんに強い殺意を抱いた辻菜摘。突発的な犯行ではなく計画的な犯行でした。辻菜摘が考えた殺害方法は3つとされています。交換日記でトラブルを起こし、さらにインターネットでもトラブルを起こした辻菜摘ですが、考えた殺害方法は、手や紐を使った絞殺、アイスピックを使ってのめった刺し、カッターナイフで首を切るというものです。

いずれの殺害方法もとても残酷なものです。辻菜摘がこの3つの殺害方法から選んだのは最後の首をカッターナイフで切るというものです。犯行前夜に見たテレビドラマ『ホステス探偵危機一髪6』に同じような殺害シーンがあることでこの方法に決めたと証言しています。
殺害~逮捕まで
実際に御手洗怜美さんを殺害方法は非常に残酷で強い殺意を感じます。事件当日、午前中の授業が終わり、給食の準備が行われていました。現在同様、給食の準備が始まると、給食当番は給食室へおかずや食器を取りに行ったり、教室では当番以外の子供たちが机を並べ替えたりとじっとしている子供がいない時間帯です。そのため教室から1人2人いなくなっても誰も気がつかないでしょう。

そんな怪しまれない時間帯を利用したのか、辻菜摘は御手洗怜美さんを学習ルームへ呼び出します。そこで犯行が見られないようにするためか、カーテンを閉めて椅子に御手洗怜美さんを座らせます。まさか殺害されると思っていなかったであろう御手洗怜美さんはその指示に従ってしまいます。

そして背後から手で目隠しをし、カッターナイフで首を深く切りつけました。頸動脈を切断するほどの深く切られたため首からは血が噴き出し、その場に倒れた御手洗怜美さんを15分にわたって動かなくなるまで眺めました。つま先で突いたり踏みつけたりして完全に動かないことを確認してから教室へと戻ります。どのような気持ちで15分間もその状況を眺めていたのでしょうか?

教室へ戻った辻菜摘は返り血を浴びていて、それを担任にどこかケガをしたのかと尋ねられます。自分の血ではなく御手洗怜美さんがケガをして血を流しているので助けるようにいい、担任とともに学習ルームへ向かいます。すぐさま救急車を要請しましたが、救急隊員が到着した時点で残念ながら御手洗怜美さんは亡くなっていました。

御手洗怜美さんは頸動脈を切られたことによる失血死ですが、長崎大学医学部で司法解剖が行われましたが、ほとんどの血液が流れ出ていたそうです。辻菜摘はその場で自分がカッターナイフで切りつけたことを自ら認め、補導されました。
辻菜摘とはどんな人物【逮捕〜逮捕後】
国立きぬ川学院へ
その場で自らカッターナイフで御手洗怜美さんを切りつけ殺害したことを認めた辻菜摘は、長崎県警佐世保警察署に補導されます。佐世保警察署は事件当日の夕方に児童福祉法に基づいて、佐世保児童相談所に通告をします。そして佐世保児童相談所の委託で長崎県警が辻菜摘さんの身柄を一時的に保護しました。

一時的に保護された辻菜摘は、事件の内容を聞かれ、御手洗怜美さんに対して泣きながら詫びています。何度も泣きながら謝る姿から反省の色がうかがえましたが、なぜ犯行に及んだかという動機について話すことはありませんでした。

現在も当時も犯罪を犯した子供は少年法によって刑事責任を問われることがありませんから、殺人事件を犯していても逮捕されることはありません。管轄の児童相談所が関係者から話を聞き、調査をした後に、訓戒、在宅指導、更生施設への入所処置、家庭裁判所への送致のいずれかを決定します。
wikiとこれ見ると興味深いな、あと施設の事
— 古都リネ*ゆっくり対応 (@LitoNote) December 18, 2018
>鉄格子や鍵のかかった個室
>決められたスケジュール以外の行動は禁止、生徒同士の自由な会話も許されません。もちろん外出や買い物もできません。
やはり若干似るのね
佐世保事件の加害者「辻菜摘」の現在とその後を徹底解説! https://t.co/frF8MNEBrU
訓戒というのは、物事の善悪を教え、諭して戒めたることをいいます。辻菜摘は凶悪な殺人事件の加害者のため、家庭裁判所への送致となりました。その後、家庭裁判所の決定を受けて国立きぬ川学院に収容されることになりました。国立きぬ川学院は、女子専用の児童自立支援施設で、個別指導によってコミュニケーション能力や社会性を身につける支援を行っています。

そして辻菜摘は佐世保児童相談所より、更生状況などから強制措置は不要との判断を受け、2008年3月に国立きぬ川学院を卒業しました。
辻菜摘はアスペルガー
辻菜摘は事件後、国立きぬ川学院で生活する中で、発達障害であることが発覚しました。現在では発達障害にはいろいろなものがあることは広く知られていますが、辻菜摘はアスペルガーと診断されています。アスペルガーは知的障害を伴わない自閉症で、相手の気持ちを察することが苦手でジェスチャーや表情で自分の感情を表現することが苦手です。
アスペルガー症候群の場合
— 創作のネタ提供(雑学多め) (@sousakubott) December 21, 2018
同年齢の子とは人間関係をつくりにくく
目上の人や年下の子とはうまくやっていけるという特徴がある
枠組みがなく駆け引きが必要で社会性が求められる同級生との付き合いは苦手な子が多いらしい
そのため学習能力は高いものの、コミュニケーションが苦手なので集団生活が苦手です。自分だけの譲れないルールやこだわりがあり、興味のあることにはとことん没頭します。またプライドが高いのもアスペルガーの特徴です。幼少期に大人しくて手がかからないのもアスペルガーの症状のひとつです。

辻菜摘は大人しく口数が少なく、手のかからない幼少期を過ごしていましたし、交換日記の「NEXT」を友達に使わないように書き込んだり、大好きな小説『バトル・ロワイヤル』を真似た創作小説を書くなど、当てはまることがありますね。
辻菜摘とはどんな人物【ネバダたんとは?】
佐世保事件の辻菜摘はネット上では「ネバダたん」と呼ばれ人気がありました。「もっとも可愛い殺人鬼」などと呼ばれることもありますが、ネバダたんは、佐世保事件を報道する際、辻菜摘の写っている写真が使われますが、その際着ていたカットソーに「NEVADA」のロゴが入っていたことからネバダたんと呼ばれるようになりました。

辻菜摘は可愛らしい顔立ちだったため、ネット上では辻菜摘のイラストが多数投稿されるなど、殺人犯でありながら祭り上げる人たちもいました。ネバダたんは日本だけにとどまらず、海外でも人気がありました。例えばドイツでは「NEVADA-TAN」というバンドまで登場しました。
辻菜摘とはどんな人物【現在の生活】
現在のFacebookとブログを見つけたとの声が
現在、辻菜摘はどのような生活をしているのでしょうか?辻菜摘のFacebookやブログを見つけたという声もあるようです。辻菜摘が佐世保事件を起こしたのは小学校6年生だったということもあり、社会復帰に影響が出ないよう、一切の情報は伏せられてますが、国立きぬ川学院を卒業した後は、法務関係者と養子縁組をし、改名して社会復帰しているといわれています。
ネバダたんのフェイスブックと現在のブログ見つけたー(゚∀゚)(゚∀゚)(゚∀゚)
— ゆうか (@07_love_yuuka) November 4, 2014
Twitterにも辻菜摘のFacebookとブログを見つけたという意見が出ていますが、万が一、それが本当に辻菜摘のFacebookやブログだったとしたら、あまり大きな話題にしない方が良さそうです。Facebookやブログでコメントなどをするような軽率な行動はしない方が無難でしょう。辻菜摘は現在は更生を認められ社会復帰しているためです。

辻菜摘のFacebookやブログを見たという話同様に、結婚している、多発性骨髄腫という病気を患っているという話もありますが、事実かどうかはわかりません。また、Facebookやブログは、同姓同名の方が運営されている可能性もありますし、世間を驚かせた事件だったため、本人のふりをしてFacebookやブログを運営している方もいるという可能性もありますね。
辻菜摘の家族のその後は?
事件当時、辻菜摘の父親は在宅での仕事に就いていて、母親はショッピングセンターでパートをしていました。姉は少し年が離れていて高校生でした。辻菜摘が事件を起こした後、母親は仕事を辞め、姉は高校を中退し、栃木県に引っ越しをしたといわれています。父親はそのまま自宅に残っていたようですが、現在父親の消息は一切不明です。

辻菜摘の父親と母親が離婚しているのか、していないのかも不明で、辻菜摘本人と連絡を取っているのかも一切わかっていません。でも、辻菜摘が起こした事件により、家族の人生も狂わされてしまったことは間違いありません。

辻菜摘の起こした佐世保事件は非常に世間を驚かせた大きな事件なので、現在でもネットで検索すると事件の概要や両親のこと、現在の状況などが書かれたブログやサイトなどがたくさん見ることができます。でもFacebookやブログ同様に、今現在どのような生活を送っているのかはっきりとした情報はないようです。
御手洗怜美さんの家族のその後
当時、御手洗怜美さんの父親は毎日新聞佐世保支局の支局長でした。母親は事件が起こる3年前に亡くなっています。そのため男でひとつで大切に育てた娘をこのような事件で亡くしてしまった父親の気持ちは、いかほどだったのでしょうか?御手洗怜美さんには中学3年生の兄がいて、事件後、父親が迎えに来たのを見たときに余りのショックに自殺するのではないか?と思ったのだそう。

その後、兄の高校進学と父親の赴任が決まり、佐世保から福岡県へ引っ越しをしました。実は御手洗怜美さにょり、交換日記でトラブルが起こったときに相談を受けていてアドバイスをしていたようですが、あのアドバイスで良かったのだろうかという自問自答に苦しんだそうです。

そのことが原因で体調を崩し、保健室登校になりましたが、父親に心配をかけまいと話していませんでしたが、出席日数が足りなくなってこのままでは留年するという連絡が父親に入り、そのときに父親は兄の苦しみを知ることになったようです。

その後、大学2年生のとき、佐世保に住んでいたときに家によく遊びに来ていた記者より、事件の話を聞かせてほしいといわれ、ため込んでいた気持ちを吐き出すことができ、何とか自分の気持ちを整理するに至ったようです。

小学校6年生の辻菜摘が学校で起こした残酷な殺人事件は、社会にも大きな影響を与えました。未だにブログやFacebookを検索する方が多いです。この事件で学校は安全に子供が過ごせるところという意識が変わった親御さんも多かったようです。佐世保事件後、加害者の辻菜摘は改名し社会復帰をしているようですが、Facebookやブログをやっているかどうかは定かではありません。

被害者家族や辻菜摘自身の家族にも想像できないほどの苦痛を与えてしまったことは確かでしょう。佐世保事件から14年以上経った現在でも、辻菜摘の現在の様子を調べようとFacebookやブログなどが検索されている状況を思うと、それほど社会に大きな影響を与えた事件だったといえるでしょう。