コンクリート事件の犯人達の現在<2018>元少年が再犯・名前や画像も!

1988年世間を震撼させた「コンクリート事件」は今なお戦後最大の少年犯罪として現在も記憶に残っているでしょう。残虐極まりないコンクリート事件の犯人は当時少年法に守られ極刑を免れました。コンクリート事件の犯人たちの現在やその顔、画像についても紹介します。

目次

  1. コンクリート事件の犯人達の現在<2018>にせまる
  2. コンクリート事件の犯人達の現在は?
  3. コンクリート事件の犯人達の現在【宮野裕史】
  4. コンクリート事件の犯人達の現在【湊伸治】
  5. コンクリート事件の犯人達の現在【小倉譲】
  6. コンクリート事件の犯人達の現在【渡邊恭史】
  7. コンクリート事件は忘れてはならない事件

コンクリート事件の犯人達の現在<2018>にせまる

戦後最大級の少年犯罪と言われているコンクリート事件とは?

1988年当時被害者、加害者共に高校生だったこととその残虐さに世間を恐怖に陥れた事件である「綾瀬女子高生コンクリート事件」は今も記憶に残る衝撃的な事件でした。この悲惨なコンクリート事件の犯人たちは、いずれも当時の少年法に守られて極刑を受けることはなく、すでに出所して社会人生活をしています。コンクリート事件の概要と犯人たちの顔画像、また子供の頃や現在について紹介します。

1988年11月当時17歳だった女子高校生の少女はアルバイトを終えて家に帰るため自転車で走っていました。同じ頃犯人の少年たちはひったくりや強姦できそうな人を物色するようにバイクを走らせていたと言います。少女の姿を見かけた少年Aは一緒に居た少年Cに「あの女を転ばせろ。あとは上手くやる。」と言うのです。少年Cは少女の背後からバイクで忍び寄りその自転車をわざと蹴り倒し少女を側溝に転倒させます。

少年Aは何が起こったか分からない少女になに食わぬ顔で近づき「大丈夫か?お前はヤクザに狙われている。」「俺が送って行ってやる。」と言葉巧みに騙し、近くの倉庫へ連れて行くのです。そこで少女を脅しホテルに連れ込み「助けて欲しければ脱げ。」と性的暴行に及んだのです。さらに少年Aは少年Bと少年C、少年Dを呼び出し少年Cの家に監禁しました。

ここから約40日間にも渡る監禁生活が始まり加害者少年たちから強姦や暴行を受け続けました。少年Aは先ほどの少年たちの他にも数人呼び出し少女に暴行や強姦を繰り返したと言います。少女は必死に抵抗しましたが枕で顔を押さえつけられ声も出せなかったと言います。少女が監禁されていた少年Cの家には母親と兄も居たと言います。母親は少女を連れ込んだのを知っていてはじめの頃は注意していましたがその後は何も言わなかったようです。

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もともと少年Cの家庭内暴力に恐れていたこととその息子の友人達も恐れていたことが原因のようです。少女への暴行や強姦の内容は残忍で、強姦、輪姦、性器への異物挿入、裸踊り、火傷、シンナーの強制吸引や無理やり飲酒させるなどありとあらゆる乱暴をしました。少女は日夜繰り返される強姦と暴力に助かることを諦めかけていたと言いますが、そんな彼女に少年Aは「もう少しで返してやる。」と言葉をかけ暴力を楽しんでいたようです。

何日も家に帰らないことを心配する少女の家族に少年たちは電話をさせ、「自分は家出をしているだけだから捜索願を取り下げて欲しい。」と少女に伝えるように脅していたようです。その電話により少女の家族は捜索願を取り消してしまい、少女が家族に助けを求めることはできなくなりました。毎日繰り返される暴行や強姦に少女は体力的にも精神的にもボロボロになってしまい、自分から「もう殺して」と哀願することもあったと言います。

そして1989年1月4日、少年Aはギャンブルで大敗したことから腹いせに少女を殴り、気が済むまで二時間以上にも及ぶ暴行を繰り返しました。殴る蹴るなどの暴行だけでは足りず、足に油を垂らしてライターで火をつけたり鉄の棒で殴ったりしました。少女の体は痙攣するほどでしたが、少年たちは演技だと罵って暴行し続けたと言います。暴行が止まった時には少女は全く反応せず動かなくなってしまい亡くなってしまうのです。

犯人の少年たちは自分勝手な感情や興味で1人の少女の命を奪ってしまったのです。さらに発覚を恐れた犯人たちは少女の遺体をドラム缶に入れコンクリートを流し込み固めてしまいます。犯人たちはドラム缶を江東区若洲にある埋め立て地に遺棄したのです。事件同時の現場付近は有刺鉄線に囲まれていて、雑草が生い茂っていた工事現場だったと言います。

1989年3月29日に犯人である少年Aと少年B2人が別件のひったくりや婦女暴行で逮捕された際、警察から取り調べを受けて居ました。警察が余罪の追及していたところ、2人はコンクリート事件について話し出したと言います。供述通り埋立地で少女の遺体が発見されたことにより事件が発覚しました。その少女の姿は家族が見ても誰だか分からないくらい酷いものでした。そして30日に犯人の少年たちは逮捕されるのです。

コンクリート事件の犯人達の現在は?

コンクリート事件の犯人は複数人

コンクリート事件は当時17歳の女子高生の少女を犯人たちが拉致して、犯人のうちの1人の自宅に監禁して暴行と強姦を繰り返して命を奪った事件です。その主犯格だった少年A、そして自宅に監禁した少年Cなどの犯人達は逮捕されますが、実際に逮捕され裁判にかけられたのは4人とされています。実際、少年Cの自宅を溜まり場として集まり被害者の少女を強姦したり暴行したりした人は複数人いたと言います。

また監禁している事実を知っている人、この暴行や強姦という事実を知っている人を含めると数十人規模で存在していたと言われています。当然少女を暴行し強姦していながら、罪を逃れて現在も普通に生活している人も存在しているのです。事件後に明るみになっていく数々の事実や犯人の顔画像などによって、今現在もなおコンクリート事件は風化せず多くの人の心に残っていると言えます。

コンクリート事件の犯人達は現在は出所している?

主犯格の少年Aなどの犯人たち4人ともこのコンクリート事件で逮捕、起訴されました。コンクリート事件はテレビで連日報道され、世間では犯人たちが未成年の少年ということもあってどんな判決が下るのか注目していました。主犯格の少年Aは懲役20年、準主犯格である少年Bは懲役5〜10年、少年Cは懲役5〜9年、少年Dは懲役5〜7年とされました。

この事件の犯人が4人とも未成年だったことから大々的に報道されました。刑事裁判で事実関係が明らかになるまで、新聞やテレビなどで少女の実名や顔画像が報道される報道被害が発生します。少年法では基本的に犯人の名前や顔などを報道することが禁止されていますが、このコンクリート事件において週刊文春では犯人の実名や顔画像を報道しました。

顔画像が公開されてもどの少年達もコンクリート事件後出所して現在普通の生活を送っています。少年Aの名前は宮野裕史、少年Bの名前は小倉譲、少年Cの名前は湊伸治、少年Dの名前は渡邊恭史と言います。これからこのコンクリート事件の主犯格の少年4人の子供の頃、また現在について詳しく紹介します。顔やその画像も紹介していますので、コンクリート事件後の犯人たちについて見ていきましょう。
 

コンクリート事件の犯人達の現在【宮野裕史】

主犯格・宮野裕史とは<顔画像あり>

この事件の加害者で一連の犯行の主犯格だった少年Aは宮野裕史と言います。他の少年たちに暴行を強要して犯人グループの中で一番自分勝手に動いていた人物だと言えるでしょう。暴力団とも関係を持ち、それを脅し文句に使い強姦を働いていたようです。コンクリート事件では逮捕され懲役20年の判決を受け千葉刑務所に服役していました。顔画像は以下に載っています。

宮野裕史の子供の頃<生い立ち>

宮野裕史は1970年4月30日生まれで、両親と妹(当時11歳)との4人暮らしでした。父親は証券外務員、母親はピアノ教室の講師の仕事をしていました。子供の頃両親が妹ばかりに愛情を注ぐことに腹を立て家出をしていたこともあったと言いますが、中学時代は部活に励み所属していた柔道部では軽量級の選手として実績を残していたと言われています。

身長は160cmと小柄でしたが、画像を見てもわかるようにがっちりとした体格でした。高校生に入学した途端学校を中退してしまいタイル工として働き始めます。そこから暴力団との関わりが増えていき、半グレ集団を立ち上げるようになります。ひったくりや合歓を繰り返し、この時にはもう罪の意識はなかったのかもしれません。そしてコンクリート事件の犯人となるのです。

宮野裕史はなぜ再逮捕された?

宮野裕史はコンクリート事件後逮捕されて懲役20年の刑を受け2008年に出所しています。刑務所を出所した後、宮野裕史は2013年に振り込め詐欺の振り子として再逮捕されています。初心者グループに近い集団でしたが、パチンコ必勝法の情報量として現金を騙し取っていたようです。しかし事情聴取で沈黙を貫いていたことで詐欺グループのそれ以上の情報が掴めず不起訴処分となっています。

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また不確定ですがその前にも車の名義貸しのトラブルで逮捕されていると言われています。その後はマルチ商法での裏稼業で大儲けをしていると言われています。コンクリート事件での逮捕、懲役20年を経て再逮捕までされ今現在も表向きには暴力団との関係を否定していますが、現在裏では日夜パーティを繰り広げていると言います。2018年現在48歳の宮野裕史ですが、顔画像を見ても再び犯罪を犯さないか不安が残ります。

宮野裕史の現在<仕事や住所>

宮野裕史は今現在刑務所ではなく普通に生活しているといわれています。出所後現在、彼は一部の情報ではBMWやベンツと言った高級車に乗るような裕福な生活をしているようです。また仕事は裏稼業のマルチ商法で利益をあげていると言われています。現在の住所などは分かっていませんが、宮野裕史は千葉刑務所を出所後に養子縁組をして名前を横山裕史に改名しました。

新しい名前で人生をやり直せる訳もなく罪が消えた訳でもありません。コンクリート事件での逮捕時も出所してからも全く反省の色は見られなかったようです。コンクリート事件についても何人かの友人に話をしていたと言います。結果として2度の逮捕を受け、これは20年という懲役の期間が反省するには短すぎたと言わざるを得ません。

コンクリート事件の犯人達の現在【湊伸治】

湊伸治とは<顔画像あり>

コンクリート事件の犯人の1人である少年Cとされていた湊伸治は、1972年生まれで当時16歳で宮野裕史より2つ下でした。家族は両親と兄が1人居て、子供の頃から厳しい父親に育てられ兄と一緒にいつも父親に怒られないかビクビクしていたと言います。湊伸治の父親は診療所で事務仕事をしていて、子供の頃から母親に子育ては任せきりで自分は関与しないことが多かったようです。

子供の頃から都内の進学校に通う優等生だったと言われています。高校も都内で唯一の工業高校に進学しています。しかし宮野裕史と後述する小倉譲と親しくなることによって犯行に及ぶことになります。被害者の少女の監禁場所も湊伸治の自宅の2階でした。もともと湊伸治の自宅は少年たちの溜まり場として使われていたと言われています。

湊伸治の自宅にはもちろん家族が一緒に住んでいましたので、少女の叫び声や苦しんでいる声も聞こえていたはずです。母親は食事を少女に届けていたとも言われていますが、宮野裕史や息子である湊伸治たちに怯えていて言うことを聞くしかなかったようです。同じ女性がこのような残虐な暴行を受けているのを分かっていて黙認することは共犯とも言えるでしょう。

湊伸治は犯行は積極的だったものの、宮野裕史からの指示で動いていたところがあるとして逮捕後の判決は5〜9年の不定期刑と言ったものでした。湊伸治はコンクリート事件後、別の強姦事件や窃盗事件を起こしていました。このコンクリート事件が発覚した時は湊伸治は少年院に入っていました。

湊伸治は出所後に格闘技選手になった

湊伸治は出所後2008年にもともと好きだった格闘技ムエタイの選手としてデビューしています。彼は地元でデビューしたため湊伸治の名前が出るたびに試合ではブーイングの嵐だったと言います。観客からは「コンクリ!」と皮肉なあだ名で呼ばれるほどだったようです。ムエタイの選手としては弱くはなかったものの、バッシングやジムへの抗議等もありどこかのタイミングで辞めたようです。

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湊伸治はなぜ再逮捕された?

2018年8月19日、湊伸治は埼玉県川口市で逮捕されています。軽トラックに乗る32歳の男性を警棒で殴った上、刃物で首を刺して重傷を負わせたためです。湊伸治は軽トラックに乗った2人の男性と駐車トラブルで口論になったと言いますが、実際は湊伸治が軽トラックの運転手に因縁をつけたことが原因であると週刊新潮は報じています。

湊伸治はもともと住んでいたアパートの近隣住民からの評判が悪く、アパートの住人ともトラブルを起こしていたと言われています。今現在は露天商のような商売をしていたと言われていますが、実際には働きに出ている様子はなく無職そのものだったという噂もありました。現在精神的にも破綻していて、この事件当日もアパートの住人とトラブルを起こしていたようです。

湊伸治の現在<仕事や住所>

湊伸治は2010年にルーマニア人かリヒテンシュタイン人と結婚したと言われています。どこの国の人かは定かではありませんが、現在結婚しているのは間違いないようです。その後大阪府に引っ越したり、福島県に引っ越したり繰り返していましたが家族共に行方不明となっています。しかし前述した事件により現在埼玉県川口市に在住していることが発覚したようです。

コンクリート事件の犯人達の現在【小倉譲】

小倉譲とは<顔画像あり>

コンクリート事件のサブリーダーだったとされる少年Bの小倉譲は1971年5月11日に生まれました。子供の頃から自分の家庭環境が恵まれてなかったこともあってか、高校も1年の二学期には中退して宮野裕史たちの不良グループと親しくなり犯行に及びました。宮野裕史より1歳下で当時17歳でした。

180cm以上の大きい体格に野太い声が特徴的で、顔画像を見てもわかるようにその風貌で少女を脅していたのでしょう。小倉譲のコンクリート事件の逮捕後の判決は湊伸治と同じく5年〜10年の不定期刑となりました。未成年の高校生だったというだけでこの残忍なコンクリート事件での罪に対する判決はあまりにも軽いと感じた人は多かったようです。

小倉譲の子供の頃<生い立ち>

小倉譲の父親は運送会社のドライバーをしていました。子供の頃から父親には愛人がいて子供も2人居たようです。しかし母親との籍は抜かずに生活していました。子供の頃から両親の不仲による別居に振り回されていたようです。母親は結婚後内職をしていましたが、父親との別居後は水商売をして生活していたと言います。

中学時代にあった怪我によってスポーツでの活躍はできなくなり高校は勉強の意欲が無くそのまま退学となりました。その後定時制の高校に通いましたが、欠席が続いている状態だったようです。そんな中コンクリート事件を起こします。小倉譲が出所した後は母親はスナックを営業していたと言われて居ます。小倉譲には姉も居たようで、姉は現在都内で会社員をしていたようです。

小倉譲はなぜ再逮捕された?

コンクリート事件のサブリーダーとして逮捕された後1999年8月に出所してから、小倉譲は養子縁組をして名前を神作譲に改名しました。2004年に母親が経営するスナックで三郷市逮捕監禁致傷事件を起こし、再び逮捕されています。その時小倉譲は三郷市逮捕監禁致傷事件の被害者に対してコンクリート事件のことを脅し文句として使っていたようです。

「俺は人を殺したことがある。」「10年懲役くらって俺は警察や検事を丸め込むノウハウを学んだからすぐに出てこれる。」「コンクリート事件は本当は俺がリーダーだった。楽しかったなぁ。」など発言をしています。このことから小倉譲は現在もコンクリート事件について全く反省していないことがわかるでしょう。再逮捕後小倉譲(当時は神作譲)は懲役4年の刑を言い渡されています。

小倉譲の現在<仕事や住所>

小倉譲は出所後、コンピューター会社のアルバイトを経て2002年には結婚もしています。2004年に三郷市にある母親のスナックで監禁致傷事件を起こしていて懲役4年を言い渡されていますが、今現在は出所していると考えられます。今現在も埼玉県に普通に生活していると考えられます。逮捕された4人の内2人が再逮捕されるという事実を見ると、当時の裁判や未成年への法律がもっと違うものだったなら少しは変わっていたかもしれません。

コンクリート事件の犯人達の現在【渡邊恭史】

渡邊恭史とは<顔画像あり>

コンクリート事件の犯人の中では一番痩せて居て声も小さく気も弱い少年Dこと渡邊恭史は宮野裕史の1つ下の当時17歳でした。ファミコンが好きで当時湊伸治たちとよく遊んでいたと言われています。高校は定時制に入学していますが1週間ほどで登校拒否となってしまい退学しています。その後宮野裕史や小倉譲、湊伸治たちとコンクリート事件の犯行に及びます。顔画像を見てもその気弱さがわかるでしょう。

渡邊恭史は子供の頃から内気な性格だった?

4人の犯人の中でも一番内気な渡邊恭史は、子供の頃に両親は離婚して、父親はその後間もなく死亡したと言われています。渡邊恭史は母親と姉と生活していました。コンクリート事件の逮捕後の判決も5年〜7年の不定期刑と一番軽い刑でした。コンクリート事件の暴行なども宮野裕史や小倉譲の命令で行っていたと見られています。子供の頃からの心の弱さが彼自身を加害者としてしまったと言えます。

渡邊恭史の現在<病気について>

前述したように子供の頃渡邊恭史の両親は早くに離婚していて、父親は死亡しています。母親はパート勤務をしていて、渡邊恭史には姉が面会して差し入れを続けていたと言います。コンクリート事件の加害者である渡邊恭史は、出所前から少年院でいじめに遭っていたと言います。そのため出所後もひきこもり症候群となってしまい現在は精神病にかかっているとも言われています。

犯人の4人の中で子供の頃から一番気も弱く内気な性格だったは、出所後の周りの目にも耐えられなかったのでしょう。今現在なんとか働いていたようですが、長続きせずに終わっているようです。加害者や家族は刑に服してもその罪は消えません。名前を変えたとしても多くの人から責められ非難されるでしょう。犯人の少年たちは一生かけて償わなければならない事件と言えます。加害者の家族もしっかり支えるべきだと言えますね。

コンクリート事件は忘れてはならない事件

コンクリート事件はその残虐さから胸の苦しくなるような事件です。約40日間監禁された被害者の少女の恐怖や苦しみ、痛みはまさに地獄のような日々だったでしょう。コンクリート事件から約30年経っていますが、その残虐さからわたしたちの記憶に残っている事件と言えます。当時未成年だった犯人たちは当時の少年法に守られ極刑を免れました。

加害者の少年たちにとってその判決はどうだったのでしょうか?彼らの現在に至るまでの人生を紹介しましたが、再犯を犯し再逮捕されている人が半分も居ることが残念で仕方ありません。当時の裁判や未成年への法律がもっと違っていれば少しは変わっていたのでしょうか?被害者家族の悲しみと犯人たちへの恨みは一生消えることはないでしょう。

ただ未成年の犯罪は現在も決して少なくなっていません。未成年の未来を守るために作られた少年法を盾に「何をしても未成年だから守られる」という誤った認識を持つ人も居るかもしれません。このコンクリート事件を知ることにより、加害者となるのは大人だけでなく子供でもなり得るということがわかるでしょう。さらにこのコンクリート事件は芸能界にも影響を与えました。

何の関係もないスマイリーキクチさんや飯島愛さんがコンクリート事件に関与して居ると噂されたのです。インターネット上ではちょっとした発言や中傷で、何も関係もない事件と結びつけられ時に被害者にも加害者にもされてしまいます。インターネットが当たり前のように普及した世の中だからこそ、顔画像を勝手に公開され多数の情報が含められそれを鵜呑みにして間違った噂を流すことは二次被害を簡単に招きます。

コンクリート事件はその事件そのものの残忍さだけでなく、被害者家族の気持ち、そしてその後の犯人の更生や二次被害の問題など様々な点で風化させてはいけない事件だと言えます。その後の被害者も加害者も作らないよう気を付けていかなければなりませんね。

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